THE YELLOW MONKEYのドキュメンタリー「オトトキ」を見て
(とてもネタバレします)
「思い描いてたことはだいたいやり尽くしてしまった。当時はやりたいことを無理やり探していた。」
これは映画の中のエマの発言。
スプリングツアーの映像を思い返すと、メンバーはみな口を開けば「更に上へ」「パワーアップしたイエローモンキー」などと、現状にまだまだ満足していないようなこと言っていたように思う。
そうか、あれは「現状に満足してはいけない」と自分たちを自分たち自身で鼓舞していたのか、と理解した。
SICKSという素晴らしい作品を残し、113本のパンチドランカーツアーをやりきって、ロック少年がかつて抱いた夢を一通り叶えてしまったであろうあの時、彼らにとって最も恐ろしかったのは「現状で満足する」ことだったに違いない。
時折見かけた「解散は避けられなかった、妥当だった」というような発言が腑に落ちた場面でもあった。
「俺と兄貴では(解散のこと)話さないよ(笑)、だからといってあいつの考えてることが話さなくてもわかる、ということでもない」
というアニーの発言も印象深い。
自分にも兄弟がいるからこの感覚がすごくよくわかる。本当に大事なことって、兄弟では話さない。全然。
だからといってそれは「兄弟だから話さなくてもわかりあってる」みたいな美談でもなく、ただただ「何を考えてるかは知らないけど、きっとあっちはあっちなりにやるし、こっちもこっちで成るように成るしかない」という曖昧な確信のみがある状態。
アニーとエマは兄弟だな...
非常に兄弟らしいと思った。
今更だけどめっちゃ兄弟だった...。
この感覚は、
「(休止中のことについてメンバーに)聞かないよー(笑)楽しかったわけないし」
という吉井さんの発言にも通ずると思う。
言葉で具体的に「あの時は...」などと伝えるわけじゃなく、かといってなかったことにするわけでもなく、ただひたすら(態度)音楽で返していく。
その姿勢は、確かに彼のいうように「家族」に向けるものと似ていて、「今後も長く一緒にいる」という前提のもとだと思う。
「家族だから不満があっても替えがきかないんですよ(笑)」
という通り、ポジティブな意味で「この4人以外に選択肢なんてない」といった感じだ。
神戸の2日目の楽屋なんて、兄弟よりも吉井さんが一番気を落としたような表情をしていて、一方兄弟は心配をかけないようにいつも通り振る舞おうとしている。
そして舞台裏で最年長のヒーセが皆を抱きしめ、あの球根の演奏へと繋がっていく。
具体的に言葉は交わしてないが、彼らが「家族」であろうとする姿が映し出されている場面だった。
こう見ると、休止を決断した当時「思い描いてたことは全部網羅しちゃったね、次は何をしようか」みたいに素直なモードになれていたら、もしかしたら...
なんてふと思ったりもしたが、
その境地にたどり着くには彼らの精神的な円熟や、ソロ活動などによって得た経験なども必要だっただろうし、また当時の彼らのプライベートな事情もあって素直なモードになれていなかったというのだから、やはり休止、解散は必然だったのだろう。
禊のような時間が明けた彼らは、また何にでもなれるまっさらな状態にある。
純粋に命の残り時間を音楽に、ロックに捧げると決めた男たちの物語。その序章だった。