エッジの上ギリギリ
THE YELLOW MONKEYの東京ドーム公演に行ってきた。
会場に入ると、アリーナ中央にあるステージ上に大きな卵が鎮座しており、時折ヒビが入るような映像が投影されていた。
大きな卵の殻割れて現れた魂が
なのか?
割れて中からメンバー出てくるとか?
演奏しながら?
いやまさか(笑)
コントじゃあるまいし。
と思ってたら、出てきた。
しっかり出てきた。
去年はサナギで今年は卵!
何回生まれ直す気なんだ!この人たち。
と、面白くなったのはさておき、
1曲目はWELCOME TO MY DOGHOUSEから始まった。
2001年の活動休止前にこの東京ドームで行われた「メカラウロコ8」のラストはこの曲。あの日の自分たちに上書きして始めるかのように、また犬小屋からなんて。「リベンジ」と宣言しただけある。
演出を含め、一番心打たれたのはやはり「天国旅行」。
圧巻だった。
メンバーを覆い隠すような幕に砂嵐が投影され、その上を真黒い影が蠢くような舞台演出だったため、メンバーの姿はほとんど見えず、音だけが頼りだった。
汚れるだけ汚れるのもいい
笑いながら死ぬことなんて
僕にはできないから
そう歌う吉井和哉に、かつてこの曲を作った頃のようなトゲトゲしい若さや、獣のような飢餓感はもう無いのかもしれない。
と思ったが、
砕けて散るのもあり、じわじわ行くのもあり
新曲「Stars」でそう歌っているように、彼の根底にはやはり、音楽と心中するかのような腹くくり感というか、覚悟みたいなものがずっと変わらずあって、「天国旅行」から20年経とうと、それは1ミリも変わってないんだろうと思った。
普段彼の発言は、何が本気で何がジョークなのかさっぱりわからないが、今回のMCの「日本にいままでいなかったようなバンドになっていきたい」という言葉を素直に信じられるのは、そういう芯の部分が見え隠れするからだろう。
終盤は、HorizonからSO YOUNGへの流れも素晴らしかった。
ベゼルの中の鼓動は戻せやしないけれど(Horizon)
今を生きるのは過去があったから(SO YOUNG)
一度解散を経て、また復活を遂げたというバックグラウンドによって、この2曲の「過去の肯定」は、さらに説得力を増していた。
SO YOUNGのラストで、吉井さんとエマが向き合って嬉しそうにハモりを弾いていて、それを支えるように寄り添うヒーセのベースとアニーのドラム。
きっと彼ら自身も、昔この場所に置いていったものをそれぞれ肯定することができただろうと思えた。
この2日間が終わってまず思い出したのは、過去にTHE YELLOW MONKEYがフジロックに出演した時のことを語る日高氏のコメントだった。
俺、当時知らなかったのね、彼らのことを。で、ビデオを見たの。それで、これは「すれすれだな」って思って、マネージャーに言ったんだよ。「エッジの上、ギリギリですね」って。「どういう意味ですか?」って聞くから「エッジの内側、バンドの原点であるロックに留まるか、もしくは“ショービズ”の世界に行っちゃうか。エッジの上、ギリギリですね」って話したんだ。
15年の沈黙を破って、彼らはまた”エッジの上ギリギリ”に舞い戻ってきた。
内側を行くのか外側を行くのか、どちらにでも転がっていけるようなそのエッジの上ギリギリを、もしかしたら狙っているのかもしれないが、外からなんて何もわからないし。
内側に行くのなら、彼らがいない間に育った「内側ファン」達を取り込む必要がある。
全く「フェスは暑い」とかいってる場合ではない。
とにかく、彼らから目が離せない、という話でした。
リベンジの次が早く見たい。
「THE YELLOW MONKEY×ISETAN」に行ってきた
影響を受けてきたファッションや音楽、文学、映画の世界観が落とし込まれたギャラリースペース
事前情報に鼻息荒くしながら行ってきましたISETAN展。
外観
外からすでにフォトジェニック
1階
1階はショップスペースになってました。
ブログから3次元に飛び出してきたパンツ
かの有名なトランポリン
893感
2階へと続く階段の踊り場には、4人のサインがありました。現地で見てみるとわかるこのサイン位置の高さ。
エマとヒーセのサイン
アニーと吉井さんのサイン ※メッセージ入り
2階
溢れるタンクトップと4人の香水。 The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Marsが大事に飾られています。
壁面のレコードたち。 名前入りのサインもある!
このテーブルはロビンがメインのコーナーかな? リールも置いてあります。
ヒーセコーナー。 私服も抜かりなくカッコイイ〜
エマコーナー。 私服はちょっと落ち着いた感じ。
アニーのカセットテープがいっぱい! 将来国宝ですねこれは。素晴らしい。
例のベース
さっきまでメンバーがここにいたかのような脱ぎ散らかし具合。踵にBOWINMANのステッカーが!
見覚えのある衣装たち
アンプと雑誌とピック
と、だいたいこんな感じでした。
本や雑誌なども細かくみたかったんですが結構遠いのと、あまり長居する感じじゃなかったのでササっと出てしまいました。
「部室」を覗き込んだ感覚近かったかもしれない。
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THE YELLOW MONKEYのドキュメンタリー「オトトキ」を見て
(とてもネタバレします)
「思い描いてたことはだいたいやり尽くしてしまった。当時はやりたいことを無理やり探していた。」
これは映画の中のエマの発言。
スプリングツアーの映像を思い返すと、メンバーはみな口を開けば「更に上へ」「パワーアップしたイエローモンキー」などと、現状にまだまだ満足していないようなこと言っていたように思う。
そうか、あれは「現状に満足してはいけない」と自分たちを自分たち自身で鼓舞していたのか、と理解した。
SICKSという素晴らしい作品を残し、113本のパンチドランカーツアーをやりきって、ロック少年がかつて抱いた夢を一通り叶えてしまったであろうあの時、彼らにとって最も恐ろしかったのは「現状で満足する」ことだったに違いない。
時折見かけた「解散は避けられなかった、妥当だった」というような発言が腑に落ちた場面でもあった。
「俺と兄貴では(解散のこと)話さないよ(笑)、だからといってあいつの考えてることが話さなくてもわかる、ということでもない」
というアニーの発言も印象深い。
自分にも兄弟がいるからこの感覚がすごくよくわかる。本当に大事なことって、兄弟では話さない。全然。
だからといってそれは「兄弟だから話さなくてもわかりあってる」みたいな美談でもなく、ただただ「何を考えてるかは知らないけど、きっとあっちはあっちなりにやるし、こっちもこっちで成るように成るしかない」という曖昧な確信のみがある状態。
アニーとエマは兄弟だな...
非常に兄弟らしいと思った。
今更だけどめっちゃ兄弟だった...。
この感覚は、
「(休止中のことについてメンバーに)聞かないよー(笑)楽しかったわけないし」
という吉井さんの発言にも通ずると思う。
言葉で具体的に「あの時は...」などと伝えるわけじゃなく、かといってなかったことにするわけでもなく、ただひたすら(態度)音楽で返していく。
その姿勢は、確かに彼のいうように「家族」に向けるものと似ていて、「今後も長く一緒にいる」という前提のもとだと思う。
「家族だから不満があっても替えがきかないんですよ(笑)」
という通り、ポジティブな意味で「この4人以外に選択肢なんてない」といった感じだ。
神戸の2日目の楽屋なんて、兄弟よりも吉井さんが一番気を落としたような表情をしていて、一方兄弟は心配をかけないようにいつも通り振る舞おうとしている。
そして舞台裏で最年長のヒーセが皆を抱きしめ、あの球根の演奏へと繋がっていく。
具体的に言葉は交わしてないが、彼らが「家族」であろうとする姿が映し出されている場面だった。
こう見ると、休止を決断した当時「思い描いてたことは全部網羅しちゃったね、次は何をしようか」みたいに素直なモードになれていたら、もしかしたら...
なんてふと思ったりもしたが、
その境地にたどり着くには彼らの精神的な円熟や、ソロ活動などによって得た経験なども必要だっただろうし、また当時の彼らのプライベートな事情もあって素直なモードになれていなかったというのだから、やはり休止、解散は必然だったのだろう。
禊のような時間が明けた彼らは、また何にでもなれるまっさらな状態にある。
純粋に命の残り時間を音楽に、ロックに捧げると決めた男たちの物語。その序章だった。